矢部宏治は、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』のなかで、「安保村の掟」について書いている。(以下の引用文で、漢数字は算用数字に兵頭の方で改めてある。またディスプレイ上の読みやすさを考慮して、改行を増やしてある)

矢部によると、安保村には3つの掟がある。

ちなみに安保村は原子力村よりも、比較にならないほど経済規模が強大である。金額に換算するとそれがよくわかる。原子力村が年間2兆円の規模であるのに対して、安保村の経済規模は年間530兆円に及ぶ。それに群がるシロアリの数も、原子力村とは比較にならないほど巨大である。

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「「安保村の掟・その1 重要な文書は、すべて最初は英語で書かれている」数年前、日米安保条約について調べていて一番驚いたのは、1951年9月8日にサンフランシスコで同条約が結ばれたとき、
「調印前日の深夜まで、日本語の条文は存在しなかった」
という事実でした。秘密保持のために前日まで英語の条文しかなかったので、深夜になってから急いで日本語の条文をつくったわけです。

同じ日に結ばれたサンフランシスコ講和条約に日本側代表6人全員がサインしたのに対し、日米安保条約には吉田茂ただひとりがサインしたことはよく知られていますが、理由は非常に単純で、そもそも日本語の条文がなかったので、他の5人の代表は安保条約の内容をほとんどわかっていなかったのです」

この後矢部は、日本国憲法の草案も最初は英語で書かれていたこと、敗戦翌年の昭和天皇の人間宣言も最初は英語で書かれていたことを紹介している。

このことは象徴的で重要である。これらの事実は戦後一貫して深化し、ついに英語が教育の場でも、公務や民間企業でも支配的な公用語になっていったのである。

日本の場合、これは英語が便利だからといった単純な問題ではない。敗戦後も続く、支配、被支配の問題であり、軍事占領が今も続いているといった政治問題なのだ。

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つまり植民地の最終過程は、母語が片隅に追いやられ、宗主国の言語にとって変わられるようになる。日本が英語で支配される。

日本人はこういうことに非常にのんきである。問題意識自体がなく、のほほんと暮らしている。しかし、言語を失うことは文化を失うことだ。一度失った文化は、二度と戻ってはこないのである。

これはTPP参加で決定的な現実になるであろう。

「「安保村の掟・その2 怖いのは原爆よりも共産主義」

(中略)

もっとも大きなポイントは、戦前の日本社会において、天皇制に反対する勢力は共産主義者だけだったという事実があります。日本の支配層にとって共産主義革命は、唯一無二の危機であり、しかも革命の成功は彼らにとって、ダイレクトに生命の危機を意味していました。戦前、最終的に最高刑が死刑にまで引き上げられた治安維持法も、根底にあったのはそうした共産主義革命への恐怖だったのです。

(中略)

最終的に8月になって降伏を決断するとき、決め手となったのは、 8月6日の広島への原爆投下ではなく、やはり8月9日のソ連参戦でした」

このあたり、読みながら暗澹としてくる。昭和天皇にとっては、広島長崎への原爆投下よりも、天皇制を否定する共産主義の方が重要だったのである。

この動画をご覧になっていただきたい。「昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます」
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広島長崎の原爆投下では天皇制は壊れない。しかし、共産主義体制になれば必ず天皇制は否定される。天皇の戦争責任がまっすぐに問われるのである。

矢部宏治の論より、さらに踏み込んで、昭和天皇は、天皇制護持を条件に広島・長崎への原爆投下を米国に許し、投下の日にちまで指定した、という論攷もある。

そのときの米側の条件は、「天皇・皇室、上流階級および重臣たちが、原爆投下の非難の声をあげないこと、および日本国民をそのように誘導することであった」(『日本のいちばん醜い日』鬼塚英昭)

米国と天皇家による日本支配は、現在に至るも続いているとわたしは見ている。現在の天皇が、折に触れて護憲の立場を、非常に慎重な言い回しで婉曲に述べているのも、米国の意に添ったものであろう。

それでは最後の「安保村の掟・その3 沖縄は「固有の本土」ではない」を見てみよう。

「戦後日本の安全保障政策に関し、最初に日本政府の頭越しに出された昭和天皇の提案は、1947年9月19日の「沖縄メッセージ」でした。

これはマッカーサーの政治顧問だったウィリアム・シーボルトに対し、天皇の側近グループの主要メンバーだった寺崎英成が口頭で伝えた「政策提案」です。その内容を記録したアメリカ側の公文書が、当時、筑波大学助教授だった進藤榮一氏によって発見され、 1979年4月号の雑誌『世界』で発表されることになったのです。

(これ以降、シーボルトの報告 注 : 兵頭)

「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私(シーボルト)に伝える目的で、日時を約束したうえで訪ねてきた。

寺崎氏はアメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、明言した。天皇の見解では、そのような占領は、アメリカのためになり、また日本にも保護を与えることになる。(略)

さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島々)に対するアメリカの軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期リース―25年ないし50年、あるいはそれ以上―というフイクションにもとづくべきだと考えている。

天皇によるとこのような占領方法は、アメリカが琉球諸島に対して永続的な野心を持たないことを日本国民に納得させるだろう(略)」(「分割された領土)『世界』1979年4月号)

「アメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望」したことから、敗戦後70年にも及ぶ、世界史でも珍しい、戦勝国による敗戦国の軍事占領が続くことになった。

このように敗戦後も昭和天皇は積極的に政治活動をおこなっていた。日本のマスメディアが伝える、隠遁したかのような、植物研究者の静かな生活と、実態はまったく違っていたのである。

しかも昭和天皇は、「沖縄メッセージでの提案につづき、ダレスへの「天皇メッセージ」によって、「日本側からの自発的な申し出」にもとづく日本全土への米軍の駐留を提案していた」。

日本では、日本の真の独立を語ると、後ろから石が飛んでくる。しかし、その最初の原因を昭和天皇が作っていたことになる。

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