今号では、日本国憲法と安保条約(日米地位協定)の関係を考えてみる。

憲法といえば、敗戦後に少年時代を送ったわたしたちは、憲法を全文暗記させられた世代である。

教壇には、戦地帰りの教師も何人かいた。担任が出張したり、社会科の教師が出張したりすると、自習課題は決まって憲法の書写だった。

戦地帰りの教師には、まるで復讐するかのように、生徒に憲法を暗記させるのもいた。子供心にも、わたしたちは、何か変だ、どうして憲法にこれほど情熱を注ぐのだろう、と訝っていた。憲法は何か凄く大切なもの、それも異常なまでに大切なもの、といった思いは自然に植え付けられたのである。

この憲法が、日米安保条約(日米地位協定)の下位法であることなど、もちろん知らなかった。教師たちも、その情熱から推して知らなかったのではないかと思う。

以前のメルマガでも採り上げたが、現在、安倍晋三が国公立大学から文系の学部をなくそうとしている。国公立大学は理系だけにする、文系は私立に任せるというのだ。いかにも軽い安倍らしい発想だ。要するに、大学を企業の金儲けに貢献する空間、技術で企業に貢献する空間に変えてしまおうというわけだ。

これについては、室井尚がかれのブログ『短信』で「国立大学がいま大変なことになっている」(5月15日)という記事を書いている。ぜひお読みいただきたい。

この教育破壊は国会で問題にしないのだろうか。これこそ国民的議論にゆだねなくてはならないのだが、国会から批判が聞こえてこない。メディアも飼い慣らされて、いっさい問題にしない。

軽い安倍晋三によって、なりふり構わずに日本破壊が進んでいる。こういうのは、どんな野蛮な独裁者もやらなかったものだ。おそらく安倍には、学生時代に優れた文学や哲学、芸術に接して感動した経験がないのである。

真に優れた理系の世界には、文系が入っている。逆に優れた文系の世界には、理系が入っている。理系と文系とは相互に密接に絡み合っている。そのどちらかでも切り離せば、「専門バカ」になってしまう。大学における創造活動には、専門職能に揺さぶりをかける、他の専門とのサロン的交流が必須なのだ。

もしかすると安倍の中には、憲法を必死で子供に暗記させたような、文系への畏怖と反発が深層にあるのかもしれない。現在の安倍批判も、ほとんど文系の学者・思想家から出てきている。

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憲法と戦争(米軍基地)との関係について、矢部宏治は、最近話題の好著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』のなかで、次のように書いている。

(引用文中、「本土も米軍基地」の「本土の」には、強調の圏点(傍点)が打たれている。しかし、メルマガの文字化けの可能性があることから省いてある。また原文の漢数字は、メルマガが横書きであることから、兵頭の方で算用数字に変えてある)

「(嘉手納にある 注 : 兵頭)弾薬庫に、もっとも多い時期には沖縄全体で1300発の核兵器が貯蔵されていました。これはアメリカの公文書による数字です。

緊急時には、すぐにこうした弾薬庫から核爆弾が地下通路を通って飛行場に運ばれ、飛行機に積みこまれるようになっていた。そしてショックなのは、それが本土の米軍基地に運ばれ、そこからソ連や中国を爆撃できるようになっていたということです。

(中略)

中国やソ連の核がほとんどアメリカに届かない時代から、アメリカは中国やソ連のわき腹のような場所、つまり南北に長く伸びる日本列島全体から、1300発の核兵器をずっと突きつけていた。

(中略)

ソ連・中国からしてみたら、自分たちのわき腹に1300発も核兵器を突きつけておいて、「憲法9条? 悪い冗談はやめてくれ」という話なのです。

そこで歴史を調べていくと、憲法9条2項の戦力放棄と、沖縄の軍事基地化は、最初から完全にセットとして生まれたものだということがわかりました。

つまり憲法9条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍をおいておけば、そしてそこに核兵器を配備しておけば、日本本土に軍事力はなくてもいいと考えたわけです。(1948年3月3日/ジョージ・ケナン国務省政策企画室長との会談ほか)

だから日本の平和憲法、とくに9条2項の「戦力放棄」は、世界じゅうが軍備をやめて平和になりましょうというような話ではまったくない。沖縄の軍事要塞化、核武装化と完全にセット。いわゆる護憲論者の言っている美しい話とは、かなりちがったものだということがわかりました」

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沖縄に1300発の核兵器を貯蔵している。また、核兵器を搭載した空母が常時本土の港に出入りしている。だから、日本国は平和憲法でも構わない、米軍が守っている。そういう真相ではないことに注意しなければならない。

冷戦時に、米国が、もしソ連や中国と戦端を開けば、当然日本本土からソ連・中国に向けて核兵器が発射される。

ということはソ連・中国から日本本土に反撃の核兵器が打ち込まれるということだ。つまり米本土の弾よけに日本はなっていたということである。怒らねばならないのだ。

キューバにソ連から核兵器が持ち込まれることを、米国は許さなかった。しかし米国はソ連と中国の喉元には1300発の核兵器を突きつけていたわけだ。それも日本には黙って。正確には日本国民には黙って。対等の独立国とは見做されていないのだ。

こう見てくると、沖縄の核武装化と平和憲法とは、植民地のキーワードで括ることができる。なぜなら日本国憲法は、実態としては日米地位協定、安保条約などの下位法だからである。

したがって日本の官僚は、対米隷属を戦略とせざるを得なかった。実際にそう生きることで、おのれの利権を確保する道を選択してきたわけだ。

1959年12月16日の砂川事件最高裁判決で、次のような判決が下るのも、司法官僚の立場をよく物語っている。

「安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査の原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする」(判決要旨の「6」)

司法官僚の判決文を読む度に辟易する。どうしてこう悪文しか書けないのか。せめて1箇所なりと句点を増やせば、随分と読みやすい文章になるのだが。判決文はこんなもの、という文体の悪習があり、忠実にその悪文を踏襲するのである。

砂川闘争と最高裁判決については、米国からの圧力を含めて、以前メルマガで論じた。それで、ここでは繰り返さない。ここでは今号のメルマガの文脈に添って採り上げるわけだが、田中耕太郎ら司法官僚がやったことは、対米隷属の、植民地の官僚そのものであった。

日本の現実は植民地である。したがって米国との日米地位協定、安保条約が上位法である。それゆえ「法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査の原則としてなじまない」として逃げたのである。

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