「長いものには巻かれろ」「大きな物には呑まれる」「泣く子と地頭には勝てぬ」「太きには呑まれよ 」「強い者には負けろ」。

日本民族の奴隷根性、無為の生きざまを慫慂することわざ・格言は少なくない。

奴隷という言葉が挑戦的に過ぎるなら、忠誠と置き換えても良い。問題はその忠誠が理念に対してではなく、人に対する忠誠であることだ。

それは最近の政治状況の中でも見られた。民主党の国会議員たちは、消費税増税反対の選挙公約(理念)よりも、そのときどきの代表の意見に従った。つまり代表が選挙の理念を裏切ったので、自分たちも同様に裏切り、政党壊滅の道を突っ走ったのである。

同じ民族であるから自民党も全く同じことをやる。選挙中はTPP参加に反対しながら、選挙後に政権を奪回し、総裁の安倍晋三がTPP参加を称えると、党全体が安倍晋三の考えに沿ってまとまる。まるで「12歳の少年」(マッカーサー)である。

外人にとって、これは十分に異様である。カレル・ヴァン・ウォルフレンは『日本権力構造の謎』(早川書房)のなかで次のように書いている。

「まず第一に、日本人の忠誠心はもっぱら集団や人に対するものであり、信条や抽象的概念には向けられない。そして<システム>に敵対する可能性のある組織は、ほとんど完全に社会から排除されているから、日本人の忠誠心は既存の社会・政治的秩序を直接的に支える力となる。

(中略)

歌舞伎や一部の現代映画で描かれるような忠誠心の表現の極致-たとえば、殿様の子の命を救うためわが子を殺すというような物語は、西欧人には道徳的に受け入れられないものである。しかし、なにはともあれ重要なことは 、日本人の忠誠の倫理観は、本質において、服従の倫理観であることを理解しなければならない」
(引用終わり)

カレル・ヴァン・ウォルフレンが、外国人として遠慮して使った「服従の倫理観」なる表現を、わたしの言葉でいえば奴隷の精神ということになる。

もはや日本史にかつてなかったような、日本の最高権力者による売国が目前に迫っている。同国人に対して気を遣った表現をとるのは、逆に誠実な態度ではないであろう。

ところで、小沢一郎を見ていると日本が見える。正確にいうと、

1 対米隷属の日本の政治

が見え、

2 日本民族の奴隷根性

が見える。

それは悲しむべきことだ。だからといってこの事実から逃げるわけにはいかない。

別の号でも取り上げたが、ここへ来て世界史に残る小沢政治裁判とはまったく別の情報が、米国経由で発生し、わが国の「 1 」 「 2 」の現実をわたしたちにつきつけてきた。

この文書は、 1959年8月3日に、ダグラス・マッカーサー二世駐日米大使が、米国務長官にあてた公電である。

それは元山梨学院大教授の布川玲子が、米国立公文書館に開示請求し、1月に初めて開示された資料である。

マスメディアと同様に、我が国の官僚、とりわけ外務、防衛、司法官僚は、自民党を支配下におきながら、直接に米国に隷属している。その事実を証明する重要な資料である。
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さて、昭和32年の砂川闘争の裁判で、 1審判決は、米軍の駐留を憲法違反、と断じた。

慌てた既得権益支配層、とりわけその先兵としての司法官僚は、まず検察が最高裁に跳躍上告した。高裁を抜いた上告である。

それを受けた当時の最高裁判所の長官田中耕太郎が、米側に便宜を図り、上告審の日程や結論方針を在日米大使館首席公使ウィリアムK.レインハートに漏らしていた。すなわち1審の取り消し 、それも最高裁判事全員による取り消しを、実質的に米側に約束した文書が見つかったのである。

これは明らかに憲法と裁判所法に違反する行為である。それも最高裁長官による違反である。

ここでこの事件に関する歴史を、田中耕太郎の経歴とともに掘り下げておこう。様々なものが見えてくる。

1946年5月 田中耕太郎は第1次吉田内閣で文部大臣として入閣した。そして文相として日本国憲法に署名する。わが国で、敗戦後に、対米隷属の政治姿勢を決定付けた吉田内閣の、田中は文部大臣であった。このことは極めて暗示的である。

1950年 田中は参議院議員を辞職して、最高裁判所長官に就任する。これは政治家にして閣僚経験者が、最高裁判所裁判官になった唯一の例だといわれる。長官在任期間は、3889日の長きにわたった。歴代1位の長さである。この辺が米側に最高裁15名全員の賛成で1審判決を破棄する、と約束するような権力を生んだ基盤だと思われる。

1955年から1957年 東京都北多摩郡砂川町の米軍立川基地拡張反対の、砂川闘争が始まる。

1957年7月8日、特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、デモ隊の一部が、米軍基地内に数メートル立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が、起訴される。

1958年10月 安保改定に向けた日米交渉が始まる。

1959年3月30日 東京地方裁判所で第一審判決で、伊達秋雄は、日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である、とし、全員に無罪の画期的判決を下した。有名な伊達判決である。これに対し、検察側は直ちに高裁を抜いて最高裁判所へ跳躍上告した。

1959年7月29日(あるいは30日) 田中は在日米大使館首席公使ウィリアムK.レインハートに対して、次のことを語り、実質的には確約した。

1 砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えている。

2 争点を事実問題ではなく、法的問題に閉じ込める決心を固めている。

3 口頭弁論は、月初旬に始まる週の週につき回、いずれも午前と午後に開廷すれば、およそ週間で終えることができると確信している。

4 結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶる素になる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている。

これは法律家の発想ではなく、政治家の発想である。

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