本号(6月22日)では、相手の立場を考えない通史という問題意識で状況を斬ってみる。それは日本人が、相手あるいは相手国の立場を考えてこなかった、今も考えられなくなっている、と判断したからである。

みんなの党の塩村文夏(あやか)都議に対する、セクハラヤジもその現象のひとつである。

6月18日の都議会で、塩村文夏は、晩婚化や晩産化の対策について質問していた。これに対して自民党の男性都議が、「自分が早く結婚すればいい」、「産めないのか」とヤジを飛ばした。

sexual harassment jeers (3)

ヤジに同調して笑い声が起きた。都知事の舛添要一も一緒に笑った。

塩村文夏は個人的で私的な問題をいったのではない。晩婚化や晩産化に悩む多くの都民を採り上げて、都の対策を質問したのである。そういった悩みを抱え込む都民の立場に、政治家が立てなくなっている。想像力がまったくないのである。

この国では、相手の立場を、他人の立場を、政治家が考えてこなかったし、今も考えないのだ。

この種の問題が起きると、わたしはいつも政治の向き不向きについて考える。このような問題が起きたときは状況的に対応しなければならない。つまり自民党の、野次を飛ばした都議への不問と隠蔽策に対して、厳しく批判しなければならないのである。

くだらない、といってしまえばそれまでだ。また、塩村文夏の過去の言説を取り上げて、相殺すれば、それで幕が引かれてしまう。

現在の状況では、様々な角度から自民党の対応を批判する言説が最も正しい。権力との闘い方が状況的であるという意味で正しいのである。

続いて、相手の立場を考えない通史という切り口で、ネットで話題になったサッカー・ワールドカップ(W杯)試合後の、日本サポーターのゴミ拾いを考えてみよう。

ブラジルで開催中のサッカー・ワールドカップ(W杯)で、日本の初戦を現地で観戦したサポーターが、スタンドのごみを拾って帰ったことが話題となり、「称賛」されている。

World Cup cleaning

実はこの問題は塩村文夏へのヤジ問題ほどわかりやすくない。こちらの方が簡単そうに見えて、遙かに複雑で難しいのである。

例によってマスメディアはこれを美談に仕立てている。「日本人はすごい」、「礼儀正しい」、「外国が称賛」…。嘘ばかり吐いて、ことあるごとに国民の洗脳に努める日本のマスメディアである。

ほんとうは試合に勝って、せめて上位に食い込んでくれて、帰国後に安倍晋三とのねぎらいの場面を絵にして、政権浮揚、ナショナリズム高揚といきたかったのだろう。しかし、何しろ外国が強い。負けてくれない。

そこでゴミ拾いの称賛になったのであろう。ただ、この問題は「いいことをした」といった、そんな単純な問題ではないのである。

この問題に対しては、6月17日に、「めいろま」が次のツイートをしている。

「スタジアムやフェス会場でゴミを拾える様なモラルの高い人が沢山いるらしいのに、公共交通機関で妊婦や年寄りや障がい者が席を譲られず、乳母車が文句をいわれ、外国人差別デモは野放しで、痴漢が大量にいて、過労死とサビ残当たり前で、女性専用車があるという謎…」

欧米で、もし職場でゴミ拾い(ゴミ片付け)でもしようものなら、ゴミ清掃業者の仕事を奪うな、と叱責されることになる。そういうツイートがたくさん出ていたが、実は日本でも何十年も前からそうなっているのだ。

ブラジルのサッカー場でスタンドのゴミを拾ったサポーターも、職場ではゴミの片付けをしていない筈だ。もしやれば「お前、何やってんだ」と叱責されるだろう。

つまり「めいろま」の「謎」の現象が、帰国後には復活するのだ。

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それではブラジルのサッカー場では、なぜゴミが拾われたのか。かれらにとってはあれは自然な行為だった。

実は、日本の学校では、学校行事で外に出たときは、必ず管理部の出番になり、清掃が提案に入ってくる。

これを小学校から高校までやらせるので、生徒たちは習い性になっている。それが、上司の干渉のない、仲間内だけのブラジルで自然に出てきたのである。

したがって、「民度の高さ」を現すものでも「礼儀正しさ」を現すものでもなかった。日本に帰れば、「めいろま」の指摘した日本の日常に戻るのである。

深刻なのは、学校教育が相手の立場を、他人の立場を考えない、社会に出てから通用しない、未熟な自己満足の教育を実践しているということだ。これは、早急に検証する必要がある。

さて、さらに大きな問題で、日本人が、相手あるいは相手国の立場を考えてこなかった、今も考えられなくなっている問題を考えてみる。

1945(昭和20)年の元旦(1945年8月14日、日本のポツダム宣言受諾の8か月半程前、ミズーリー号で降伏調印式が行われた1945年9月2日の9か月ほど前)に、正木ひろしは『近きより』に次のように書いている。

abe shinzou (2)

「 1月1日(月)

日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。

僕が迫害されたのは「反戦主義」だという理由からであった。戦争は、そんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼等は味わっているのだ。

だが、それでも彼等が、ほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。

彼等は第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼等は戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼等に国際的知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。

当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位をあげることも必要だ。

日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総べての問題はここから出発しなくてはならぬ。

日本が、どうぞして健全に進歩するように――それが心から願望される。この国に生まれ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿るのだ。

いままでのように、蛮力が国家を偉大にするというような考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るように――。「仇討ち思想」が、国民の再起の動力になるようではこの国民に見込みはない」

敗戦の9か月ほど前に、これほど正確に状況をつかみ、将来の日本を的確に展望していた人間がいたことに、強い感動を覚える。

ここで「彼等」と呼ばれているのは、日本国民の謂いである。

1 彼等は第一、戦争は不可避なものだと考えている。

2 彼等は戦争の英雄的であることに酔う。

3 彼等に国際的知識がない。

ここに挙げられた3点は、残念なことに敗戦後70年ほどたった現在の日本国民にそのまま当てはまる。

日本の戦後教育は、平和と民主主義とを掲げて闘った。しかし、結局、戦前への回帰を目指す保守政治とマスメディア、それに民度の低い国民に敗北したのである。

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