(風化しつつある阪神・淡路大震災に抗して、『みず』と題して、個人的な体験を発信します)

『みず』

 

8 校長と組合

学校改革を志向するわたしは、組合を中心とした北須磨高校の、守旧派の徹底したいじめに遭い、わたしをとっちめるために緊急の職員ミーティングが何度か開かれた。

なぜ職員会と呼ばずに職員ミーティングと呼んだか。

職員ミーティングだと校長が出席しなくていいからである。

もちろん、そういうことが、当時のわたしにはわからなかった。名前は職員ミーティングだろうと、てっきり校長は出てきて、わたしの盾になるのだろうと思っていた。

当時の指導部長は教頭試験を受けていた男だったが、わざわざミーティングの前にわたしのところにやって来て、

「わたしは職員ミーティングで発言しない。前任の指導部長に、引いておれ、何もいうな、と忠告されたから、自分はそうせざるをえない」

と奇妙な弁解をしてきた。

将軍が逃げれば兵士も逃げる。

校長には、「校務をつかさどり、所属職員を監督する」(学校教育法第28条3項)責務がある。

遅刻指導を懸命にやって、近隣の校長からもその成果の内容を知りたいと問い合わせがあるような指導事例について、守旧派の政治的党派的な圧力がかかったとき、その職員だけを戦場に差し出して、自分は逃げるのが、現在の9割の校長だ。

遅刻指導すら満足にやれない空気があるのだったら、校長は研修を開いて、明確な意思統一を図る責務がある。

校長については、

「教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、それに要する施設、研修を奨励するための方途、その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない」

と教育公務員特例法第19条2項に定めている。

つまり、組合という名の守旧派が、通常の遅刻指導すら妨害するときは、校長には注意して終わるのではなく、全校的に研修の場を設定し、共通理解を図る責務がある。

組合が恐くて、こんなことも注意できないのなら、校長試験など受けなければいいのである。

いまは自分の責務も果たさない、そして辛い仕事は全部教頭や部長や主任に押しつけ、校長室で天下り先を考えているような校長が多すぎるのだ。

職員ミーティングという名の糾弾会では、わたしを擁護するものは誰もいなかった。

わたしはひとりで守旧派と渡り合った。ただ、ひとりだけ、体育の男の教師が、

「まるで兵頭さんが悪いことをしたような言い方じゃないか!」

と座ったまま不規則発言をした。

今も覚えていることを思うと、わたしはこの一言がたいへん嬉しかったのだと思う。

実際、この一言ほどその場の雰囲気を雄弁に物語っていたものはない。

わたしは何も悪いことはしていなかった。遅刻を減らすという、いいことをしただけだ。それも生徒を殴ったり、怒鳴りつけたりもしていない。静かに話をし、校舎周りの簡単なゴミ拾いを一緒にやっただけだ。メインはあくまでも話にあった。

それも遅刻がすぐに激減したので、することがなくなり、あるときなどは遅刻指導にやってきたひとりの生徒に向かって、

「きみが遅刻しなかったら、先生はここに来なくてすんだのに」

と笑っていったものである。

何が悪いのか。

組合を中心とした守旧派が怖れたのは、この遅刻指導を突破口にして進路面にまでわたしの影響力が広がり、自分たちが、さぼれなくなることだったのである。それでわたしの動きを芽のうちにつもうとしたのである。

当時の校長は温厚で慎重な、校長の奥さんの言によれば「うちのは石橋を叩いても渡らない。兵頭さんはさぞかし御不満でしょう」というような人だった。

かれが退職時に県の大きな賞を受賞したのは、わたしたちの力だったといってくださる年配の先生方も複数いた。

こんなことを書くのは自慢したいからではない。為川の苦闘、そして十数人の仲間(そのなかにはわたしを逆恨みして去っていった人もいた)の功績を書き残しておきたいからだ。

この校長の後にやってきた新しい校長は軽い男だった。
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組合が職場に流した情報では、県のエライさんとの酒席で、裸踊りをするという立派な人だった。

しかも力がなかった。わたしが1週間も校長室を訪れないと、自分を捨てるつもりではないか、と不安をこぼすような人だった。それだけ組合が恐かったのだろう。

やがてこの校長は、それまでわたしたちが積み上げてきた成果を次第に組合に切り売りしながら、組合の歓心を買うようなことをし始めた。

たとえばわたしたち改革派をいくつかの部や学年に分散させ、少数派にして、意見が通らないようにしていったのは、そのひとつである。

組合は大いに喜び、校長を褒め始めた。

「おれたちにはダメな校長ほど都合がいい」。これは陰で彼らが口にしていた言葉である。

こうして改革に逆らう北須磨の守旧派は、組合と校長との連合体に変質していった。

どうしてそういうことが起きるのか。

学校の舞台裏に疎い向きに、少し実態を説明しておく必要があるかもしれない。

改革を実行しようとすると、組合は改革を実行するヒラではなく、必ず校長をとっちめる。困ったことに、滅多なことでは直接にわたしには向かってこないのである。

ところで年配の組合員のなかには、歴戦の闘士もいて、その理論力、交渉術、喧嘩のうまさは、校長の比ではない。それが集団で校長を囲む。

音を上げた校長は、表向きは改革派に親近を装いながら(保護者会の手前もあって、正面切って反対するわけにはゆかない)、教頭を使って改革派潰しをやる。

この教頭という人種は、校長以上に職場の保身に身をやつす。

なぜなら、校長とは異なって、まだ上らねばならぬ階段がひとつあるからだ。それで全国組織の組合の側に立つ。

わたしは自分の教員生活で教頭とうまくいった例しがなかったが、それはこのためである。

こうして、たかが2年ほどの任期の安泰を、子供と保護者への見えない背信で担保し、多くの校長は天下り先へと、教頭は校長へのポストへと飛び立っていく。
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こういう教師世界の舞台裏については、マスコミも世間もあまり知らないし、かりに知っていても口にしないのである。

ひとつは、校長(教育委員会)も組合も社会的権力であり、自主的に改革しようとする個人など、擁護するメリットがないということなのだ。

かてて加えて、およそ日本の知識人は左翼的なものに弱く、組合を批判する知識人など、滅多にいないのだ。

昨今の校長・教頭には、お坊ちゃんやお嬢さんが、そのまま出世したような人が非常に多い。

そのこと自体は非難されることでもないように見えるが、現場で問題になるのは、組合の脅しやデマにすぐ騙されるような人物がトップにいるということだ。

わたしは、教員生活のなかで、自分の理念を実現するために校長に嘘をついたり、騙したりしたことは1度もない。

逆に、わたしについて職場にばらまかれるデマ、とりわけ校長にふっかけられたデマを打ち消すのに、どれほどエネルギーを費やしたことか。

かれらはいとも簡単に騙される。根はお坊ちゃんやお嬢さんが歳をとっただけなので、今まで、どれほど助けられたかということへの、感謝もない。

苦労していないから、よく尽くしてもらっても、それを当たり前のように思っている。

信義や恩義というものが非常に希薄な人たちなのである。だから、ひとつのデマで、それまで自分に尽くしてくれた人たちの評価はくるっと変わる。いったい今までの積み重ねは何だったのかというほどだ。

組合が恐いものだから、自分を救ってくれる人間と、敵視している人間の中間に身を置いて、公平さを繕うようなリーダー。

このリーダーを動かし、公立学校で改革をやることほど辛いことはないのだ。

改革を叫べば叫ぶほどことばの空しさがわたしたちのうえに覆い被さった。

わたしは学校から帰ると、アルコールならなんでも胃に注ぎ込む日々が続き、肝臓を痛めてしまった。白髪もこのときにめっきり増え、細君に抜いてもらうのもやめにした。

ここで教育界のトップの方々にお願いしておきたいことがある。これはわたしの教育界への遺言だと思って、どうにか虚心に聞いていただきたいのだ。

まず、教頭へのお願いであるが、改革の情熱もなく子供への愛もないのなら、どうか校長にならないでほしい。

じつは、こう思っているヒラの教師がたいへん多いのである。

いささか皮肉めいた言い方をすれば、校長にならないことが、最大の教育界への寄与だといった教頭が、昨今、多すぎる。

この人はほんとうに人物だ、未来のリーダーだといった教頭は珍しいほどの惨状になっている。

改革をやるつもりもない、そして授業への情熱を失ってから教頭試験を受けた、とにかく自分は教頭になりたかったのだ、というのなら、せめて、どうか改革に邁進する教師を守ってほしい。

少なくとも組合の側に立たないでほしい。

学校で何よりも先だってなされねばならないのは、トップの意識改革のように思われる。

子供のために、ほんとうは、先頭に立って改革をやらねばならないのは自分たちであるという自覚をもってほしい。

校長と教頭が先頭に立って改革をやった方が、ヒラの改革派の教師がやるより、エネルギーは何分の一かですみ、犠牲も少なくてすむのである。

なぜなら、かれらには、改革をスムーズに運ぶための権力が与えられており、教頭試験を受けている教師たちが、教頭の意を受けて動き始めるからだ。

最近、複数の教頭をおいたり、主幹教諭を設置したりしているが、こんなことをしても税金の無駄遣いのように思われる。学校は何も変わらないにちがいない。

なぜなら、かれらには学校改革のための構想力も企画力もないからだ。

強い者(組合)には弱く、職場でいじめられている教師にはめっぽう強い、イエスマンが増えて、職場が窮屈になるだけだ。

学校改革のアイディアの乏しさ、企画力の貧困に、保身の抜け目なさが加わって、行動できない、何ひとつ具体化できない、そんな人間をいくら増やしても力にはならないのである。
<続く>

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