(風化しつつある阪神・淡路大震災に抗して、『みず』と題して、個人的な体験を発信します)

『みず』

 

7 闘いの日々

わたしが神戸市の第3学区にある北須磨高校に移ったとき、為川は同じ第3学区の伊川谷高校に勤務していたが、北須磨高校にきてもらって、学校改革の戦いを展開した。

この頃、北須磨高校は、牧場の昼下がり、守旧の帽子を目深にかぶって口笛を吹いていた。

北須磨で激しい改革の戦いが始まる。組織だった、組合という名の、強力な守旧派を向こうにまわして。

それは最後まで少数派の戦いだった。

事情に疎い向きには、とくに民間会社にお勤めの方にはわかりづらいかと思うが、現在、公務員の世界で改革を行うとき、抵抗勢力として立ち現れるのは組合なのである。それは、それまで彼らが培ってきた様々な既得権とどうしてもぶつかるからだ。

彼らのサボタージュ、人間的頽廃がいかほどのものかは、たとえば社会保険庁や国土交通省のていたらくを見てもわかったと思う。

テレビなどでは、コメンテーターがあきれ顔で批判しているが、現実は何十年も前から行われてきたことであり、政治家にとっては周知の事実なのである。

まず学力面では、生徒を鍛えて国語の模試で星陵高校を抜いたことがある。兵庫県以外の方にはピンとこないかもしれないが、星陵高校というのは県内でも屈指の進学校で、それよりランク下の北須磨高校が追い抜くというのは大変衝撃的なことなのである。

しかも当時の北須磨高校は、平日に全員参加の模試をやっており、成績の悪い生徒も受験者に含んだうえで抜いたのだったから、その意義はたいへん大きかったのである。

驚いた星陵では緊急に学年集会を開いて、生徒はたいそう気合いを入れられたそうだ。当時、われわれの仲間で、お子さんが星陵に通っていたのがいて、そこから情報が入ってきたのである。

進路面では、兵庫県の公立高校で、関関同立の合格者数をトップに押し上げた。これは新聞で大きく取り上げられ、関西の予備校からは、どういった進路指導をしたかを訊きたいという依頼がきた。

わたしたちの学年がやったのは英・数・国の小テストを中心に生徒の学力をつけるという方法だった。学年の他の先生方の負担を増やさないために、小テストはマーク方式で実施した。

小テストの当日、放課後にカード処理に立ち会ったのはわたしを含めて2、3人の、それも偶然国語科の教師ばかりだったから、他の先生方の負担はほとんどなかったといっていい。

採点も30分ほどで終わり、職員室に戻ると、他の先生方は教材研究や面接や部活動と、それまでとまったく変わらない仕事を続けており、わたしにはこれが一番嬉しかった。

成績の悪い生徒には再テストを実施した。それでも勉強しない生徒には再々テストを実施し、マンネリに流れないようにした。

また、カードのマークは、次回の小テストの前に消しゴムで消させて、何回も使い回し、節約にも心がけた。1回毎に新しいカードを使ったわけではないのである。

時代は昭和から平成に切り替わろうとしていた。最先端のツールを駆使したことは、センター試験の訓練にも役だった。

センター試験の自己採点は、実際よりも割り引いて考える必要があるということもこの経験から学んだ。答えはあっていても、マークの仕方が悪くて、コンピューターが不正解にするケースが思ったより多いのである。

知られているように、センター試験の点数は、受験生には知らされない。そのため、生徒は自己採点という、本人任せの恐いシステムに取り組み、しかもその自己採点をもとに受験産業が出したランク付けを目安に、受験先を決めることになっている。

つまり、センター試験というのは、実施する側にあっては、ただやればいいだけであって、採点ミスという、もっとも重要で微妙な部分が完全にブラックボックスに入っている責任回避のシステムなのだ。

生徒は、自己採点と、センター試験事務局が採点した結果が同じである筈だ、という前提で、自分の進路(国公立の場合は前期試験)先を決めるわけだ。

ここで注意を喚起しておきたいのだが、結果的にミスを犯すのは機械ばかりではない。最近の社会保険庁のひどい入力ミスを知って大方の人がわかったと思うが、操作する人間もミスを犯すのである。

もし、受験生のなかで、模試でA判定を何度もとり、センター試験の自己採点もA判定であり、さらに前期試験の結果も悪くなかったのに、意外にも不合格になった諸君は、カードリーダーの、人間とは基準の異なった採点ミス、あるいは事務上の人為ミスを疑った方がいいのではないか。そしてぜひとも情報開示を求めるべきである。

もし点数を発表すれば、点数への異議申し立てがあちこちから起こり、この試験制度そのものの崩壊に繋がることは間違いないところだ。

ちなみにセンター試験というのは官僚の天下り先になっている。

わたしたちの取り組みと、その結果、もたらされた進路実現にあわてた守旧派(組合)は、当時進路部長をしていた組合の男が、「3年周期説」という珍無類の解釈をして、わたしたちの進路実現の成果を打ち消そうとした。

つまり、爆発的な進路実現は、わたしたちの取り組みの成果ではなく、北須磨高校では、何をしなくても、そしてかりに組合がやっても、3年に1度は周期的に好結果が出るというのだ。

わたしは、今、この文章を書きながら、当時の進路部長に、恥を知れ、といいたい。

自分たちが多数派であり、まわりにサボりの味方がたくさんいたとしても、そして組合にヨイショしたかったとしても、調子に乗って、このような解釈を、しかも進路部長の要職にあるものがしてよかったのか。第一、過去に遡っても3年周期などという実態は何もなかったのである。

普通、進路部長の要職にあるものは、3学年の進路結果に1番気を遣うものだ。出た結果がよければ「こういった学年とご一緒できてよかった」と感謝し(というのはその好成績は進路指導部の成果でもあるからだ)、悪ければ、どうも力足らずですみませんでした、と頭を垂れるものだ。それがどの高校にもみられる進路部長の姿勢である。

それが、素晴らしい進路実現に、しゃくに障る、といわんばかりに打ち消す態度に出、しかも馬鹿なものだからぬけぬけと文章にまで書き残したのだ。よほどおっちょこちょいで、わたしがこういうことをそのままには済まさないということが、見通せなかったのだろう。

生徒指導面では遅刻を激減させ、近隣の高校の校長からどういった指導をやったか、これも話をききたいという依頼があった。これは校長から聞いた話である。

こんなことは挙げていけばきりがない。

今から思うと、なんであんなことがやれたかと思うことがいくつもあるが、これらは為川と一緒に、十数人の仲間とスクラムを組んで達成したものだ。

ただ、遅刻指導だけは、ひとりでやった。反対勢力の集中砲火をあびるので、仲間に迷惑をかけないためだ。専任の指導部も恐がって逃げ回ったので、学年の担任だったわたしが全学年の遅刻生徒を週に1度1個所に集めてひとりで指導した。

わたしは毫も恐くはなかった。

『わたしをやるというのなら、やるがいい。しかし、いずれ書き言葉で斬られる覚悟のもとに』

わたしの思いはそういうことだった。

それにしても、なぜ指導部の専任が遅刻指導から逃げ回ったのか。公教育の実態に疎い向きにわかりやすく説明する必要があるように思われる。

教師の世界にも、当然、政治は入ってきている。党派的な動きをする人もいれば、ひと癖もふた癖もある教師は存在している。学校というところは、教育熱心なお人好しの集まりでないのである。いってみれば当たり前のことだが、まず、それを知っていただきたい。

次に、全部とはいわないが、その党派的・組合的な考えの中心には、たとえばコンピューターは、人間性を抑圧し、労働者から職を奪うものである、という古臭い思想が蔓延っている、という現実をいっておこう。(共産党系の教師にはこの呪縛は少ないようだ。というか、むしろパソコンに堪能な人が多かったように記憶している)今はだいぶ改善されたが、コンピューターが職場に入ってきた1970年代末から80年代ころはとくに酷かった。

また、遅刻指導は生徒の人権を奪うものであり、目くじら立てて遅刻指導をするのは右翼の体罰派の教師である、という偏見が牢固として存在している。

さらに生徒の進路実現に力を注ぐ教師は、出世主義の教師であり、生徒を有名大学に入れて、やがてその実績で自分が出世しようとしているのだ、という、人を見下した勘違いが根強く存在している。

今は、時代の推移とともに、組合もだいぶ変わってきた。それでもまだ一部に、これらの考え方はとぐろを巻いている。ところが、かれらのなかには、自分の子は塾に通わせ、自分の子の学力の伸びに一喜一憂し、自分の子が遅刻でもしようものなら大声で叱りとばし、ときにはスパルタ教育並に殴り、将来は必要になるだろうからと、自分はこっそりパソコン教室に通って、ワープロ程度のことなら簡単にできる、抜け目のない御仁もいて、ことはさほど単純ではないのである。

口先ほど根性は座っていないのだ。

肉離れを起こした思想は、職場でこのような現実になって正体をむき出しにする。すべてとはいわないが、かれらの多くはこう語るのだ。

「コンピューターは、わたしは苦手だし、できないので、コンピューターが必要な仕事をわたしはやらない。しかしコンピューターが好きな人がやる分にはあえて反対しない」

「遅刻指導は生徒の人権を奪うものであるから、わたしはやらない。しかし学校がガタガタに崩れても困るので、一部の教師でやる分にはあえて止めはしない」

「進学に力を注ぐ教師は、出世主義の教師であり、わたしは生徒を有名大学に入れるために小テストはやらないし、補習にも習熟度授業にも反対だ。しかし一部の教師がやりたいといって、わたしに採点などの業務を割り振らなければ、あえて反対したりはしない」

つまり、根はサボりにあるのだ。他人の子供のために、あくせく働くつもりなどないといっているのである。深刻なのは、現在の校長の10人に9人は、そのようなサボりの教師に立ち向かう力もなければ、その気もないということである。むしろ仲間だと思っていた方が間違わない。
(続く)

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