(風化しつつある阪神・淡路大震災に抗して、『みず』と題して、個人的な体験を発信します)

『みず』(最終回)

 

10 阪神淡路大震災後、言葉に水をやりながら

 

「あの人が本を全部燃やしてしまったんです」

ある日、為川の家を訪れたわたしに細君がいった。為川は留守だった。脳裏に、北須磨高校での激しい職場改革の戦いが浮かんだ。為川の絶望、ことばへの絶望は北須磨からきている。

「今まで大切にしていた本を全部。長い時間をかけて。近所の人が、燃やすのだったら欲しい、といったのですが、聞かずに全部燃やしてしまいました」

「どんな本ですか」

全部燃やしたというのだから、訊くこともなかったのだが、わたしは訊ねた。

「吉本隆明さん、田川健三さん、島尾敏雄さん……」

「島尾敏雄まで……」

吉本隆明の家には為川を連れていったことがある。吉本というのは、資質的な臆病と、思想的な強者の構えとの乖離が、かれの思想的言説に嘘を孕むところがあって、わたしは為川の行為が理解できないわけではなかった。しかし、島尾は為川がもっとも評価し、尊敬していた作家である。

当時、島尾が奄美大島に住んでいたことから、新婚旅行もわざわざ奄美大島に決めて、会いにいったほどの作家である。

島尾はこの見知らぬ、ゆくりない訪問者にいやな顔ひとつせず、島を案内すると、ふたりを港まで見送った。この作家の本を燃やすということは為川の絶望の深さを物語っていた。

翌日、喫茶店で為川に会った。

「本を燃やしたって奥さんに聞いたけど、全部燃やしたのか」

「福井の同人誌『ゆきのした 360号』にその間の事情は書いておいたから、今度あったとき渡すよ。読んでくれ」

同人誌の名前はそのとき初めて知った。為川がその同人誌に書いたこともわたしは知らなかった。

「もうおれには本は必要ないんだ」とかれは続けた。「ことばは必要ないんだ」

「ことばがなければ希望もないだろ。神戸は燃えたが、希望まで燃やすことはできなかった」

「希望?」そう呟くと、為川の口元にシニカルな笑いが浮かぶ。「こんな病気になって、もう希望も何もないよ」わたしが黙っていると、「兵頭さんは希望をもっているの」そういってから、自分で打ち消した。「いや、今の質問は愚問だな。おれが一番わかっていたのに」

この頃から為川は異様に太り始めた。死と戦っているのだと思った。やがて神は火の霊からことばを奪った。かれは喋れなくなって、家族の優しい庇護のもとに入った。それからの何ヶ月かがわたしにはもっとも辛かった。彼の家を訪なう。するとことばを奪われた為川がアームチェアに深々と横たわっている。

『かれはこういうことになるのを知っていて、元気なうちにことばを火焙りの刑に処し、復讐したのだ』

火の法官は室内でも帽子を被っていたが、薬のせいで頭髪が抜けていることはすぐにわかり、艶の悪い黒い顔から、明日を拒絶された目が、じっとわたしを見つめる。何をいいたいのか。もう、ものをいうことはできないのだった。いや、ことばを口にできないだけで、思考は続いているのか。きっとそうなのだろう、と思ったとたん、その内容を忖度し始めるものだから、わたしは辛くなって、どうでもいいようなことを細君に話しかける。そういう辛い日々が続いた。

電話がかかってきた。為川が死んだということだった。

駆けつけると、遺体は八畳の間に寝かされていた。

わたしは為川の腕を握った。冷たかった。びっくりするほど冷たかった。あいつは死んだんだ、と思った。

正面に、以前勤めていた伊川谷高校のふたりの教師が坐っているのに気付く。

「彼は自分の子に接するように生徒に接していました」

わたしはふたりの教師に向かっていった。初対面の人になぜそんなことをいったのか、とにかくわたしの心には悲しみとともに、激しい憤りがこみ上げてきていた。

通夜になった。

「星陵の校長から参列者を代表して弔辞を読みたいという申し出があったんですけど、断りました」と奥さんがいった。「それで弔辞は兵頭さんにお願いしたいんです」

部屋には、為川の県農以来の付き合いの面々が何人かいて、わたしの方を見ていた。彼らは正月ごとに為川の家に集まっている仲のいい連中である。わたしはそのなかのひとりの名前を挙げていった。

「それはあなたのほうがいいのじゃないですか」

その男がわたしに向かっていった。

「いや、付き合いの深さからいえば兵頭さんですよ」

「あなた方は県農からの付き合いでしょ。あなた方に弔辞をもらった方が為川さんは喜ぶんじゃないですか」

「為川は兵頭さんの本を全部読んでいたし、是非そうしてあげてください」

わたしは引き受け、今夜は長い夜になるぞ、と思った。

家に戻ると、パソコンを立ち上げ、弔辞を書き始めた。一言書くと、思い出が蘇って、いっかな筆が進まなかった。

実際、長い夜になった。

為川は何度もわたしの家に遊びに来ていたから、子供たちにとってもなじみの深くて、やさしい「先生」であった。葬儀にわたしたちは家族で参列した。

式が始まった。弔辞を読み上げるわたしの番が来て、わたしは為川の霊前にことばの水を手向けた。

為川先生の訃報に接し、ご遺族の心中を察すると、慰めのことばもありません。

為川さん、いつもこのようにあなたを呼んでいたので、ここでもそのように呼ぶことをお許しください。

まだ52歳のあなたを見送らねばならないことになり、わたしたちは今、深い悲しみと衝撃のなかにいます。あなたの死の床で、わたしは「為川さん、まだ幼い俊史君を残して、死んだらあかんやないの」といおうとしたのですが、冷たいあなたの腕とおだやかな死に顔に接して、ただ「52歳とは随分と早かったですね」といったきりでした。

あなたとは昭和50年に兵庫工業高校の職員室に席を並べて以来、20年間、随分と多くのことをともに語り合ってきました。

島尾敏雄の文学について、黒沢明、山田洋次の映画について、貝原六一の絵について、そして政治と労働運動について。

為川さん、あなたの明晰な論理と果断な行動力、そして豊かな常識に随分とわたしたちは助けられてきました。

わたしたちがあなたを敬愛したのは、それだけではありません。あなたは思索の底に、社会の不正にたいする、強い義憤を持っていました。

阪神・淡路大震災のあと、あなたは、故郷の同人誌『ゆきのした 360号』に寄稿した最後の一文で、「身に余るものは置かないし、持とうとしない。本も道具も必要最小限でいい。捨てろ! 焼け! と思った」と書いています。

為川さん、あなたの深い悲しみと憤りが少しでも癒されるのなら、その作業を手伝いたかったです。政治は政治的であることによって政治力にはなり得ない。まして知識人の言説が政治そのものから出ているのなら、どんな美しい体系であろうと、世の中を改める力は持たないし、付き合う必要もない。あなたの明察がそこに届いてしまえば、もう本はひとつのモノにすぎなかったのです。

本を焼くあなたの姿は、わたしたちの世代の辿り着いたひとつの象徴的な姿でした。

灰燼に帰すことば。その煙をくぐって、あなたが最後に辿り着いたもの、それは愛する奥さんや、お子さんたち、おばあちゃんに囲まれた家庭でした。そしてそこにいた何人かのやさしい友人たちでした。

為川さん、あなたが最後に辿り着いたその地平で、ゆっくりとお休みください。そこはあなたを愛している人ばかりの世界です。

あなたの最後の病床を多くの人が見舞いましたが、もっとも頻繁に見舞ったのは、あなたの嘗ての教え子たちでした。

わたしはあなたほど教え子の哀惜に接した教師を知りません。教育者としてのあなたの人生は実っていたのですね。

為川さん、あなたのところまであなたの愛したご遺族の泣き声が聞こえますか。教え子の泣き声が聞こえますか。かれらのいっぱいの感謝の拍手をどうか聞いてあげて下さい。そして、「ありがとう」のことばのなかでどうか安らかにお眠りください。

弔辞が終わり、参列者に頭を下げる。一瞬、まわりの参列者が黒の経帷子をまとった死者に見え、わたしはぎょっとした。

葬儀が滞りなく終わり、為川家に帰ると早々、為川の細君がわたしにいった。

「あの弔辞をいただけませんか」

わたしは弔辞を渡した。

「ずっと仏壇においておきます。一番あの人が喜ぶと思いますから」

為川家の人は遠方からの親類筋の応対に忙しく、こちらも何か落ち着かないのだが、しかしわたしが具体的に手伝う仕事はすべて終わっているというような状態で、葬儀の後の、ぽっかりと穴が空いたような寂しさが屋敷を占めた。

その寂しさから逃れるように、人々は何かにかまけていた。葬儀社との打ち合わせ。遠方から葬儀に駆けつけた縁者への宿泊の手配と段取り。帰る参会者への挨拶。香典の整理。電話の応対。仏壇の前には常に誰かいた。

他人の家で、そういった慌ただしさのなかにいる自分にわたしは奇妙な違和感を覚えていた。冠婚葬祭のしきたり。世間の常識。こういうものほどわたしに似合わないものはなかった。妻との結婚も、区役所で婚姻届を書き、その後、ふたりで食事に出掛けただけだった。わたしが生きた青春は、そういう時代だったから。それにしてはわたしはよく努めていた。

努める自分を冷たく分析している、もうひとりの自分がいた。

『何を落ち着きすましているんだ。お前にどれほど決定的な事態が進行しているか、わかっているのか。あいつはもういないんだ』

為川の県農時代の同僚と教え子たちが、寂しそうに酒を酌み交わしていた。コップの底には悲しみが見える。……あれはドストエフスキーの何という作品に出てきたことばだったか。わたしもその座に加わりたかったが、車で来ていたので、そういうわけにもいかず、深夜になって為川の家を辞した。

玄関を出て、ドアを閉める。何気なく視線を落としたとき、玄関の薄明かりに、鉢植えのアロエの、青々と茂っていたのが、すべて根本から深く刈り取られているのが目に入った。

その夜、夢をみた。

為川の、お祖母ちゃんの家は小高い丘の上の一軒家で、細い坂道を登っていかねばならない。いつもこの坂道を登るとき、夜は怖いな、という思いに領される。ゆっくりと坂道を登りながら、家の下まで歩いてきて、いつもけたたましい声で鳴く犬の泣き声を聞こうとして耳を澄ました。

犬の鳴き声はない。不思議に思って、坂を曲がり、玄関に向かう。裏の庭で何かを燃やしている為川の後ろ姿が見えた。

わたしは立ち止まった。炎が1メートルほどに昇り、煙は数メートルにわたって流れている。

本を燃やしているのだ、と思った。側で奥さんが不安そうに為川を見ている。為川の足下にはこれから燃やされる数百冊の本が無造作に積まれている。

そのとき、わたしの眼底に刺さった、繃帯をしてのたうち回る赤。その赤に飲み込まれるために順番を待っている、平積みされたわたしの本。わたしは少し後ずさると、今来た方に振り向き、気付かれぬように坂道を下っていった。

翌日、為川の家を訪なうと、お祖母ちゃんが玄関に出てきて、奥さんを呼んだ。

出てきた奥さんは、疲れきったというふうに見えた。挨拶も草々、通されて仏壇の前にすわる。昨日、わたしが読んだ弔辞が仏壇に供えてあった。

遺影に目をやる。それは、いかにも為川らしい、元気なころの、精悍で、きりっとした、いい写真である。

為川はもう歳をとらないのだ、と思った。

為川さん、とおれは仏壇の遺影に話しかけた。

『おれが困ったとき、いつも助けてくれましたね。ありがとう。おれはもう二度と得られないほどの、強力な戦友を失ってしまったよ。きみがおれから奪ったもの、それは友達を作る情熱そのものだということがわかってきた。これから先、どんなに情熱を傾けても、きみほどの友達を作ることは不可能な気がする。いや、おれは人間と交わる情熱そのものを失ってしまったみたいだ。

きみはもう歳をとらないことに決めてしまったみたいだが、おれはもっと先まで歩いて行くよ。

昨夜、おれは不思議な夢をみてね、その夢のなかできみはおれの本を燃やしていた。

きみの論理はいつも徹底して行動に結びついたから、こういう夢をみたのだと思う。そこがおれがきみを敬愛してやまなかったところでもあるんだ。

ことばなんか信じない、ということになれば、おれの弔辞もことばなのだから、焼かれて当然のことになるのだろう。しかし、きみの絶望はそこまでだ。あの弔辞は、きみの細君に頼まれて書いた。ほとんど寝ずに。借り物のことばがないことはきみも認めてくれるだろう。

また、わたしの本は、評論家にも、文壇にも、大学教授・知識人にも、何の遠慮もせずに書いた。おれを葬りたければ葬れ、しかしおれはほんとうのことを書くことをやめない、と決意して。

おれの作品だけがあの時代の青春の真実を描いている。だから焼かれるわけにはいかないんだ。

灰燼に帰すことば。それはわたしたちの世代の、もっとも純粋な精神が、68-69年に味わった苦い帰結だった。

ことばは空しい。それはわかる。しかし、そこに立ち返れば、68-69年に「わたしが喋っている変革は、ただのことばにすぎない。そしてそれでいいのだ。わたしはわたしのことばを生きるつもりはない」と開き直った狡猾な大学教師・知識人たちの、ことばと存在の乖離に同衾することになる。

為川さん、この阪神・淡路大震災のあとに、おれはあちこち水を求めて走り回った。きみは最後になってことばを焼いたが、おれはことばに水をやる道を、ことばに絶望するがゆえにことばを信じる背理を歩いて行くよ。

ゴルゴダの丘で磔になった、ナザレの大工の息子は、もっともことばに絶望した人間だっただろう。しかしかれはことばを焼かなかった。

「天地は過ぎて行くだろう。しかしわたしのことばは過ぎて行かない」

かれはそう語っている。実際、かれのことばは過ぎてゆかなかった。

そう、この世には絶望から反転する希望の種族のことばがあるんだ。ことばに水をやり続けることが、おれにとっては、あの時代への弔いの仕方なんだ。

今日は最後の別れにやってきたよ。おれは、ことばに水をやりながら生きてゆく。最後にことばを焼いたきみとはここで別れる。

きみは両目をしっかりと開いて世界を見、論理的に分析して、この世界のことばを火あぶりの刑に処した。おれはことばを燃やしたいとき、片目をつむるんだ。すると、世界は半分だけ優しさの形姿を取り戻す。マッチを渡されたとき、おれはいい人であることをかなぐり捨てる。すると世界は耐えられるものになって、ことばに水をやり続けることができるんだ』

そう呟くと、その思いはおれが一番わかっているから、というように、心のなかで、為川はわたしに別れの手を振るのだ。

「みず」<完>

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