今日のメルマガでは、新自由主義による大学知の解体を考えてみよう。

日本は頭から腐ってくる。すなわち国会、経済界、メディア、大学、これら1%がまず腐る。続いて99%の家畜(抵抗しない、考えない羊)が腐ってくる。

99%は、現在、「日本スゲー系」で、腐った1%への同調圧力にさらされている。「お前たちはダメだ」といわれたら、キョトンとするだろうが、「お前たちはスゲー」といわれたら、へらへらと嗤いながら改憲にも反中、そして戦争にも同調するだろう。

日本の政治が米国に隷属して、後追いをしていることは、世界中が知っている。しかし、教育もそうである。

米国の大学の状況を知ることは、日本の大学を知ることと同じである。同時進行で、米日の大学崩壊が進んでいる。

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東大がこれまで禁じてきた軍事研究を解禁した。太平洋戦争でもそうだったが、いつも東大が戦争への口火を切る。これが他大学に影響を与え、大学教師が戦争に反対しなくなる。

東大は昨年(2014年)12月に大学院の情報理工学系研究科のガイドラインを改訂し、「軍事・平和利用の両義性を深く意識し、研究を進める」と明記した。東大の理系には、技術だけがあって、哲学がない。自分たちが片棒を担いだ福島第1原発事件はとっくに忘れたのだろう。

(日本は忘れても、世界は忘れない)
(日本は忘れても、世界は忘れない)

ジョージ・シアラバは「米エリート大学の嘆かわしい現実 ―― 失われた人間教育と格差の拡大」で、次のように書いている。

「彼(『エクセレント・シープ(優秀な羊)』の著者ウイリアム・デレビウイッツ 注 : 兵頭)はアメリカの大学が、伝統的な教養を与え、学生を啓蒙する場ではなくなり、最新の資本主義の目標と需要を満たせるような人材の育成に力を入れるようになったと嘆いている。

大学は、消費者主権、労働市場の柔軟性、借入による資金調達、「科学的」マネジメントとマーケティング、技術による生産性向上などを学生たちにたたき込むようになった。「大学は若者に教養と規律を与えるのではなく、卒業後のキャリア、とりわけ金融業界とコンサルティング業界をサポートする場所へと変貌している」と彼は言う。

デレビウイッツに言わせれば、大学は、コミュニティーや大義のために働くこと、芸術や科学、あるいは学究の実践など、学生が「自己よりも大きな何かへのコミットメント」を見出す場所のはずだ。

これがなくなってきた。アメリカのエリート校の学生たちが「自己よりも大きな何か」のために献身的に働くようにならない限り、まとまりのある共同体はできない」(『Foreign Affairs Report』2015 NO.5)

ここに書かれていることは、ほとんど日本の大学状況だ。それも1980年代から顕著になってきた状況である。

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米日とも、すでに大学は専門学校化し、学問探究の場ではなくなっている。新自由主義の目標と需要を、実技で満たせるような人材の育成に力を入れている。

誰でも自分の学生時代は語れるわけだが、わたしの学生時代だった60年代後半から70年代前半にかけては、現在とは真逆の時代だった。大学に行けば、学生運動の立て看が林立し、学生のアジテーションが聞こえ、放課後になると、どのセクトかのデモが連日のように市中に繰り出していた。

「マルエン全集(マルクス・エンゲルス全集)」を読破したという伝説の主があちこちにいて(おそらく高校時代から読んでいたのだろう)、わたしの日本文学専攻には、漱石や芥川龍之介、太宰治の、それぞれ全集を読破している学生が多かった。

けっして豊かではなかったのに、訪れる友人の下宿や寮の本棚には、高価な本が並んでいた。今振り返ると、全集(日本文学全集や世界文学全集)が本棚に並んでいたのが、この時代の学生の、本棚の特徴かもしれない。

徹夜で本を読み切り、寝ぼけ眼で正門をくぐることも毎度のことだった。

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しかし、現在の大学は、もはや学問とは何か、学が生きるとはどういうことか、国家国民に対する学の責任とは何か、理想の国家・社会を作るにはどうしたらいいか、とは問わない。そのような問題意識自体が、大学教師からなくなってしまっている。

ジョージ・シアラバは続けて書いている。

大学は学部生を教える仕事を薄給の非常勤講師に任せる一方で、学生とはほとんど接することのない著名な研究者を引っ張ってくることに血道をあげている。大学内の保険制度、警備、ビル管理はアウトソースされている。

学生をサポートする職員が削減され、大学職員の福利厚生は縮小され、一方で大学運営の事務職幹部の給料は引き上げられている。多くの場合、デベロップメント部門と呼ばれる実質的なマーケティング部門が影響力を強め、大学の方針にまで口を出すようになった。

特許などの知的所有権の技術ライセンスが大きな収入源となり、企業が資金を提供する寄付講座が増え、資金だけでなく、授業内容にまで口を出している。いまや大学は学生を客のようにみなし、「顧客満足度」を高めようと、図書費や研究予算をカットして、豪華な交流センターやスポーツ施設を提供している。

これまでも大学は古代のギルドのような企業体だったが、いまやあらゆる意味で企業になってしまった

「大学は学部生を教える仕事を薄給の非常勤講師に任せる一方で、学生とはほとんど接することのない著名な研究者を引っ張ってくることに血道をあげている」とは、まさしく悪い意味での教育解体である。

大学が、人を教育する場、人を作る場ではなくて、金儲けの場、企業に様変わりしているのだ。新自由主義、強欲資本主義の支配する大学とは、こういうものだ。

米日とも、大学教師は政治状況に目を向けなくなっている。日本でいえば、ごく例外的な教師を除いて、大学教師は、特定秘密保護法にも原発にも、そしてTPPにもガイドラインにも無関心である。いや、無関心ではないかもしれないが、状況に向けて発信しなくなっている。かりに関心があっても沈黙を決め込んでいる。

(現在も続く環境汚染に、日本の大学知は責任がある)
(現在も続く環境汚染に、日本の大学知は責任がある)

たまさか大学教師が、政府の反動的な法案に反対表明をすることはある。しかし、それはあまりに遅いのである。法案が採決される直前に、まるでアリバイ作りに反対を表明してみせた、といった趣のものがあまりに多すぎる。もっと早く反対を表明しなければ、肝心の国民を覚醒させることができない。反対表明のタイミングが、政権同様に国民を無視している。

それは、かれらがお互いに孤立し、知的なたこつぼに隠遁していることを物語っている。

企業としての大学にとって大切なのは、いかに儲けるかのマーケティングなのであり、その部門が大学の方針にまで口を出すようになっている。

特許は金になる。技術ライセンスは金になる。企業が大学に金を出す。その代わり、教師の授業内容にまで口を出す。学生は「顧客」であり、その「満足度」を高めるために、豪華な交流センターやスポーツ施設を作る。

図書館などを作るより、キャンパスに喫茶室やレストランを作った方が「顧客」の満足度は高いのだ。

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