前号の「カードとしての人体実験(1)」では、「元米国調査団のフィリップ・ロジは、米国調査団が日本に到着すると、すぐに日本側から報告書を提出したいという申し入れがあった」という証言を書いたところで筆をおいた。

フィリップ・ロジはいう。

「日本は私たちが入手できない重要なデータを、原爆投下直後から集めてくれていたのです。まさに被爆国にしかできない調査でした」

そうではない。両国の上層部で取り交わされた密約に沿って、人体実験の成果は米国に送られることに決まっていたのだ。

それにしてもここまで他民族を見下した言葉には滅多にお目にかかれるものではない。「わたしたちのために原爆投下直後から人体実験の結果を集めてくれていてありがとう。これは被爆国にしかできない調査だからね」といっているのだ。

人体実験の成果を米国に渡すことによって、日本の上層部が得ようとしたのは何だったのか。

1 昭和天皇裕仁の戦犯免責と天皇制の存続

2 人体実験データの特許権の取得

この2点が入っていたのは間違いないだろう。

オーターソン大佐に報告書を渡していたのは、原爆調査を指揮する陸軍省医務局の小出策郎軍医中佐だった。しかし、なぜ小出は、敗戦前から軍が独自に調べていた情報を米国に渡したのか。その動機についても、このドキュメント(『封印された原爆報告書』)には重要な証言がある。

封印された原爆報告書』2010年8月6日

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なお『封印された原爆報告書』の文字起こしを見つけたので、感謝して引用させていただく。(一部の引用は、兵頭の方で表記を短くしてある。例 NHKインタヴュアー→インタヴュアー 三木さん→三木)

このドキュメントには、陸軍の軍医少佐だった三木輝雄が出てきて、このように証言している。

「三木:いずれ(進駐軍から 注 : 兵頭)要求があるだろうと、その時はどうせ持っていかなくてはならない。て、いうんで、早く持っていった方が、いわゆる心証がいいだろうということで、まあ、要求が無いうちに持ってったが。

インタヴュアー:心証を良くするっていうのは、何のために心証をよくするんですか?

三木:だからそれは、731(部隊)なんかのこともあるでしょう、ねえ

興味深いのは、天皇から小出中佐クラスまで、もはや米国への憎悪など何もなくなっていることだ。ひたすら戦勝国の「心証」をよくして自己保身だけに、うつつを抜かしていた様がうかがわれる。証言に「731部隊」が出てきており、人体実験データが、特許絡みで莫大な富を生むことを知っていたことを物語る。

三木:新しい兵器(原爆 注 : 兵頭)を持てば、その威力っていうのは誰でも知りたいもんですから。

カードで言えば、有効なカードはあんまりないんで、原爆のことはかなり有力なカードであったんでしょうね

「原爆のことはかなり有力なカードであった」というのは、相当に的確な状況認識である。

広島・長崎への原爆投下は、自己保身と延命の有効なカードになっていたのである。

なるべく多くの人間を被曝させ、殺すこと。敗戦は決まっていた。後は米国に人体実験のカードを切ることで、支配層は死刑を免れることにしたのだ。

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小出中佐に代わって、米国調査団との橋渡し役になったのは、東京帝国大学の都築正男(教授 放射線医学)だった。

都築と陸軍が共同作成した報告書の中に、米国が、最も必要としていたデータがあった。それは、原爆がどれだけの範囲にいる人を殺すことができるのか、調べた記録である。

対象となったのは、広島市内で被曝した17000人の子供たちでした。どこで何人死亡したのか、70か所で調べたデータが印されています。

爆心地から1.3 キロメートルにいた子供たちは132人中50人が死亡。

8 キロメートルでは560人全員が死亡しています。

8月6日の朝、広島市内の各地に、大勢の子供たちが学徒動員の作業に駆り出されていました。同じ場所で、まとまって作業していた子供たちが、原爆の殺傷能力を確かめるためのサンプルとされたのです

(1945年原爆投下直後の長崎。米軍の報道写真家ジョー・オダネル「10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。(中略)背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。(中略)白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。(中略)まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。(中略)その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました」)
(1945年原爆投下直後の長崎。米軍の報道写真家ジョー・オダネル「10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。(中略)背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。(中略)白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。(中略)まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。(中略)その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました」)

「8月6日の朝、広島市内の各地に、大勢の子供たちが学徒動員の作業に駆り出されていました」。問題はここなのだ。広島への原爆投下は、偶然に場所と時間が決まったのではない。人への殺傷能力を実験するために、日本支配層の協力を得て、市街地の人口密集地に落としたのである。

『広島県史(近代Ⅱ)』の「原爆と敗戦」には、次のように書かれている。

広島地区司令部の強い要請により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5000人の出動を命令した

原爆が投下された8月6日には、義勇隊、学徒隊が集められていて、人体実験の準備はなされていた。そのほとんどが被曝し、殺された。データは揃ったのである。

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それは、たまたまだ、という言い方はできる。しかし、実は広島への原爆投下で、終戦反対の第二総軍も広島で壊滅しているのである。

つまり、広島への原爆投下は、(1)終戦反対の国内のトゲを取り除き、(2)人体実験のデータも採れる、一石二鳥の「天佑(天の助け)」だったのだ。

この「天佑」については、『米内海相直話』に、はっきりこの言葉が出てくる。

「私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくて済む。私はかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。

一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来ると云うのが寧ろ幸いである

広島の第二総軍こそが、終戦反対の急先鋒だった。原爆投下は、「国内情勢の憂慮すべき事態」だったその癌を取り除き、人体実験にも供することができたのである。

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